Philosophien

哲学とかんがえごと

人を殺してもいいの?ー『戦争と大量虐殺』トマス・ネーゲル

 

みなさんは人を殺したことがあるでしょうか?

ほとんどの人は無いと思います。なぜなら殺人は法律で禁じられているからです。

「どんな時でも人を殺してはいけない」「法律がなくとも道徳的に"してはいけないこと"だからやらない!」という人もいるでしょう。

 

 

 

戦争が起こったら?

では仮に戦争が起こったとします。

自らが兵士として戦場に立ち、今まさに自分を殺そうと銃口を向ける敵がいたときに、「悪いことだからやめなよ!」と説得しようとする人は、果たしているでしょうか。

 

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『戦争と大量虐殺』ベトナム戦争を受けて書かれた論文です。

ベトナム戦争では、殺傷能力の高すぎる兵器が多数開発されました。それによって殺されたベトナム人は少なくとも150万人で、その半数が非戦闘員である一般市民でした。

戦争という非常事態において道徳は「無いもの」と思われがちですが、たとえ戦争でも道徳的に"してはいけないこと"は存在するとトマス・ネーゲルは主張しました。

 

 

トマス・ネーゲル

1937年ユーゴスラビアベオグラードに生まれる。コーネル大学オックスフォード大学を経てハーバード大学で博士号取得。1980年よりニューヨーク大学の教授として勤務。

 

 

たとえ戦争でも道徳的に"してはいけないこと"は存在するという主張に基づき、戦闘行為に対して二つの制限が設けられました。

①攻撃する対象の制限

戦争に関わることを望んでいない一般市民や戦闘を望まない兵士を攻撃してはいけない。

②攻撃手段の制限

 非人道的な兵器は戦闘能力を奪うことを超えて人間としての生存を脅かすものなので使用してはいけない。

 

 まとめ

ネーゲルの主張が理想論に過ぎないことは、彼も論文の中で認めています。道徳に背くことをするしか生き残ることができないことも、選べる選択肢が全て道徳に背くものという事態も、現実には起こり得ます。

その時に人がどうするべきかは、ネーゲルも答えを出していません。

 

「どんな時でも人を殺してはいけない」と言い切ることは簡単です。ですが戦争などの極限状態に置かれたとき、わたしたちは道徳を見失ってしまうかもしれません。

 

"してはいけないこと"をするしか生き残ることができない時、あなたはどうしますか?

 

 

参考文献 

コウモリであるとはどのようなことか『戦争と大量虐殺』が載っています。

動くものはすべて殺せ――アメリカ兵はベトナムで何をしたかベトナム戦争について。

 

おまけ

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ベトナム戦争をテーマにした映画のオススメ3選!ぼくはフルメタルジャケットがすき。

 

記事が

 

ブログの記事が消えました。

 

正しくは下書きをしていた記事です。真っ白に消えてしまいました。

 

トマス・ネーゲルの論文についてまとめて、帰ったら見直そうと思ってうっかりウインドウを閉じてしまいそのまま白紙に戻ってしまいました。

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最近のWord(Office)って、ウインドウを閉じても勝手に保存してくれますよね。

その感覚でぽちっと消してしまいました。なので明日更新します。

記事の内容はネーゲルの『コウモリであるとはどのようなことか」に収められている「戦争と大量虐殺」のまとめです。おやすみなさい。

かえりたい

中学生の頃から、口癖が「かえりたい」でした。

テストやら自分が担当の発表やらの憂鬱なイベントがある日はもちろん、何もない日も何となく「かえりたい。おうちのふとんでゴロゴロしたい。」と思って毎日過ごしていました。

 

ある日、出かける予定もなく自宅でゴロゴロしながら「かえりたい」と思ったことがありました。

「家にいるのに何故そんなことを思うのだろう」と不思議に思いましたが、毎日「かえりたい」と考えている人間なので、いつもの"癖"で頭に浮かんだのだろうと思い深くは考えませんでした。

 

"癖"

接客業のアルバイトをしていると、コンビニでお会計をしているときに店員さんの発する「ありがとうございました!」に反応して自分も「ありがとうございました!」と言いそうになることがあります。

普段無意識にしてしまう行動が癖とよばれます。ですがいつも考えていることだからといって、無意識の行動のように頭に浮かぶことがあるのでしょうか?

 

帰宅願望ではなく

 

...住居は人間が最も安全で快適に感じることのできた母胎の代用品であり、わたしたちはいまなおこの最初の住居に戻ることを願っているのである。

フロイト『幻想の未来/文化への不満』p180

 たまたま読んでいたフロイトの論文の一節です。

僕が常に抱いていた「かえりたい」という願望は、家でゴロゴロしたいという帰宅願望ではなく至上の快適さを享受できる母胎への回帰(胎内回帰)の願望のようです。

 

はじめに

 

はじめまして。シャニと申します。

哲学を専攻するキラキラの大学生です。

  

 

ブログの指針

気になったニュースのほか、専門領域であるフランス哲学からアリストテレスマイケル・サンデルまでちまちまと齧りつつブログにまとめていく予定です。

 

哲学関係については細かく解読・考察する内容ではなく、サクッと読めるかんたんなまとめです。

高校生レベルの分かりやすいまとめを心がけるので、なにとぞよろしくお願いします。

 

自己紹介

哲学ゼミに所属し、フランス哲学の勉強しています。

 

高校生の時にエキセントリックな倫理の先生と教科書に載っていた「動的平衡」に惹かれたことをきっかけに、哲学に興味を持ちました。

「でも哲学って正直就職先なくない?」と考え、哲学コースの他美術史や心理学などを幅広く学べる大学に入りました。

大学入学後は美術史のゼミを覗いたり西洋史をかじったりと紆余曲折を経て3年生から哲学ゼミに所属し、本格的に哲学の勉強を始めました。

 

悲しいことに、それまで教科書レベルの哲学知識しか持ち合わせていなかったため今になってあわてて哲学の本を読みあさっています。

次々と本を読むと貧相な脳みそから知識がこぼれ落ちそうなので、メモがわりにこのブログにまとめていく予定です。

少なくとも1週間に1回は更新できるように頑張ります。